hatsuhappaのブログ

不定期で更新される日記のような何か

半年たって正解になった

転職して半年がたった。

こんなことを言うと嘘みたいで奥歯がむずがゆくなってしまうのだが、毎日が楽しい。入社以来「せっかく採用した新人にすぐ辞められたら困るから、都合の悪い部分を隠しているんじゃないだろうか」とか、「本当は言いたいことがあるけど、わたしが未熟すぎるから手加減してもらってるんじゃないか」とか、心のどこかでそう思いながら過ごしてきたけれど、さすがにもう信じてもいいだろう。本当にいい職場だ。

去年の今頃はまさか自分が会社を辞めるだなんて考えもしなかった。新卒の就職活動の軸は「長く働き続けられる会社であること」だったし、エントリーした企業の平均勤続年数や離職率は必ずチェックしていた。最終的に選んだその会社は、業界的にも安定していて、幅広い年代の社員がまんべんなく在籍していて、手厚い福利厚生制度が整っていた。1クラスよりちょっと多いくらいの同期もいい人たちで、仕事を教えてくれる先輩や上司もみんな優しかった。でも、辞めてしまった。同期の中で会社を辞めたのはわたしが一人目だ。

たぶんわたしと同じように、わたしが会社を辞めるとは上司も同僚も先輩も後輩も同期も誰も思っていなかったのではないだろうか。「君が愚痴や弱音を吐くところを見たことがない」とは同じ部署だった先輩の言葉だ。心のうちはどうであれ、一緒に働いている人の士気を下げるような振る舞いを自分に許せなかったわたしにとって、未だに覚えているくらい嬉しい言葉だった。

わたしが前の会社のどんな部署でどんな仕事をしていたかは、詳しくは書かない。ただ、配属辞令が下りたとき、同期から憐みの目を向けられるような場所だったとだけ書いておく。わたしとしては、良くも悪くも適性のある場所に置かれたなあと思っていたけれど。

複雑な規則や日々変化するオペレーションをなんとなく乗りこなしながら、メンバーの主張や不満を受け止めて、それなりに迷惑もかけながらがむしゃらに頑張ってきた。「がむしゃらに頑張ってきた」と当時の自分を評価できるようになったのは最近のことだけれど、頑張っていたと思う。

転職のきっかけになった人物がいる。わたしに非がなかったとは言えないが、とても許せなかった。それまでやってきた仕事がすべてどうでもよくなった。それまで必死に気づかないふりをしていたのに、もはや無視することはできなかった。あまりにも報われない。

「あ、もう無理だ」と思ったその日に求人情報サイトに登録した。1か月後には内定を得て、2か月後に有休消化に入り、3か月後に退職した。今は業界も職種も違う場所で働いている。なにもしてないのに体重が落ちたり、脈が乱れたり、顔から汗が噴き出したり、気づいたら外が明るくなっていたり、誰もいない玄関から知らない人たちの口論が聞こえたり、インターホンのランプが光らずに音だけが繰り返されたりすることもなくなった。

本人には絶対に伝わってほしくないけれど、今では心の中で退職のきっかけになった人物にも感謝できるようになった。転職のきっかけをくれて本当にありがとうございました。おかげさまでこんなに素敵な職場で毎日楽しく仕事ができるようになりました。どうかわたしの真の退職理由を知らないまま、あなたはあなたの人生を幸せに生きてください。

今でこそ感謝できるようになったし、前職に対する未練も残っていないけれど、もし自分で納得できるようになる前に他人から「でも見方によってはその人が人生を変えるきっかけになってくれたとも言えるよね?」なんて言われてたら怒り狂っていたと思う。そういう読みもできる(し、一度はそう思おうとした)がわたしはあえてその解釈を選びたくなくて暴れまわっているんだが??? といった具合に。「出来事は変えられない、変えられるのは解釈だけだ」と他人から言われたところで、本当に自分がそう思えないと意味がない。

許せないと思っていた人が、いつの間にか「どうでもいい人」に変わっていたことに気がついたので、時季的にも区切りをつけるにはちょうどいいかと思って書きました。汚い日記だから、公開するのは少し恥ずかしいけど。なにもかもが1年前より良くなっていて、本当に毎日が楽しいです。穏やかで健康なありがたい日々がこれからも続きますように。

1月7日は休日だと嬉しい

七草粥を食べたよ!

ものぐさと土日祝の関係ない仕事にあたっていたせいで年中行事が疎かになりがちなここ数年だったけれど、七草粥に関しては毎年やたらとモチベーションが高い。慣例や風習を大事にしたいから作るというより、単に食べたくて作っている。もともと雑炊やおかゆみたいな柔らかい米が好きなのもあって、七草粥のことは1年に一度しか食べられない特別な料理として楽しみにしている。なんならおせち料理より好きだ。

大学生の頃、1年間だけ学生寮で生活していた時期がある。そのたった1年、たった一度だけ寮で迎えた新年最初の7日にも、自分の部屋に友人を集めて七草粥を振る舞ったのを覚えている。おいしいと言ってもらえて嬉しかった記憶が今でも残っている。

昨年はいろいろと余裕がなくて、それでも七草は食べておきたくて、たまたま持っていたパウチのおかゆに乾燥した七草のふりかけを混ぜて食べていた。形だけにもほどがある。たっぷりずっしりしたお椀とは逆に心がスカスカで切なかった。

そんな悔しさを払拭するべく……いや違うな、楽しいことを楽しみだと思える心の柔軟性を取り戻したので、今年の七草粥は生米を炊くところから始めた。煮出したあごだしを冷まして、研いだ米を出汁に入れて煮立たせて、焦げ付きを防ぐために軽くかき混ぜるタイミングで刻んだ七草を入れて、もう一度ふたをしてしばらく待つ。完成。起きて最初の食事の準備にいくら時間をかけても何の問題もない! 今日は休日だからね!

朝とも昼とも言える時間に2人前のおかゆを平らげた。胃腸を労わり無病息災を祈念するものを、乱れた生活の中で食欲のままに貪った。まあこれだけ食べられるなら健康ってことで、おいしいものをおいしくたべられる体に感謝しながら、吹きこぼしで悲惨なことになったコンロの掃除を頑張ります。おいしかった!

カオマンガイがおいしすぎる

カオマンガイがおいしすぎる。

1ヶ月前に職場の先輩に誘われたランチで、たまたま入ったタイ料理屋さんで運命的な出会いをしてしまった。カオマンガイ、おいしすぎる。

これまでの人生で特に避けていたわけでもないけどエスニック料理を通ってこなかったので名前しか知らなかったカオマンガイ、おいしすぎる。

鶏出汁で炊かれた生姜の香るジャスミンライスに乗せられた柔らかい蒸し鶏、胡瓜、パクチー、そしてなんといっても今まで食べたことない味がするあのソース、カオマンガイ、おいしすぎる。

隙あらばテイクアウトして会社で食べるようになってしまったカオマンガイ、おいしすぎる。

あのお店のが特別おいしいだけなのか調べるべく、今日の仕事帰りに別のお店で頼んでみた。結論、カオマンガイがうますぎる。

いよいよ作り方を調べ始めた。あのソースどうやって再現したらいいんですか? KALDIとかに売ってる?

カオマンガイがおいしすぎる。

อยากกินข้าวมันไก่อร่อยๆ

急がば回れ、3日目の(焼き)カレー

帰宅中ふと「今日の晩ご飯は焼きカレーにしてみようかな」と思いついた。3日目のカレー、アレンジしてみようかな。

同じものを食べ続けることに抵抗がないので、普段なら余ったカレーは何日寝かせてもカレーライスとして食べている。たまに米を炊き忘れてカレーうどんになるくらい。

実家にいた頃、母はよく終わりがけのカレーを少量のルーでも満足できるよう焼きカレー(カレードリアとも呼んでいた)にアレンジしていた。生卵がのせられるときもあれば、ゆで卵が乗せられるときもあった。わたしはそれが好きだった。今まで自分で作ったことはなかったけれど、別の料理で使ったシュレッドチーズが冷凍庫で眠っているのを思い出して、せっかくだからやってみることにした。

オーブンを予熱している間に、解凍もそこそこのご飯をグラタン皿に敷き詰めて、その上から日曜の夜に作ったカレーを火にもかけずに塗り広げていく。その上からチーズをあるだけ全部かけて、スイッチオン。待っている間に何か色々できたんだろうけど、焦げる前に救出せねば!! と思うとその場を離れることができなかった。あと単純に完成が待ち遠しくてソワソワしていた。

7分後。見た目に変化がない。チーズが解けきってすらいないので、さらに加熱することにした。

3分後。相変わらず表面がおとなしい。焦がしたくはないけれど、カリカリのチーズカレーが食べたかったのでさらに加熱することにした。

5分後。チーズの形は残ったままである。これ以上加熱するのが怖くなってしまったので、ここでオーブンから取り出すことにした。

火傷に気をつけながら、食卓に料理を並べる。どう見ても目の前の皿から湯気は立ち上っていない。それでもきっと中心部はアツアツになっているはずだと、期待を込めてスプーンを押し込む。薄い膜のようになったチーズを割っても湯気は出ない。予感のような覚悟を決めて、口の近くへスプーンを運ぶ。息を吹きかけたくなるほどの熱を感じない。そしてひとくち。

はい、これ普通のおいしいカレーです。なんならぬるめの。

どうせオーブンでしっかり焼かれるんだから、ご飯もルーも事前に温め直さなくたっていいだろうと手を抜いた結果がこれである。味はよかったので落ち込みはしないものの、そうか〜〜〜〜となった。そうだよな、レンジとオーブンは違うよな。学びましたわ。

体感としては普通のカレーライスを食べたのと変わりないのに、ところどころ焼きカレーさながらに水分が抜けてグラタン皿に固くこびりついているご飯つぶを洗い落とす作業の虚しさよ。また焼きカレー(カレードリア)を作る機会があれば、次はちゃんと温め直したものを焼くようにします。

結果はどうあれ、オーブン使うの楽しかったな。久しぶりにスコーンでも焼くか。

ジョイがフルにメドレーするティーのラテ

ジョイフルメドレーの季節がやってきたぞ!!!!

今日(11/1)からスターバックスでジョイフルメドレーティーラテの販売が始まりましたね。わたしは去年はじめて飲んですっかり虜になりました。普段はスタバ好きの友人に誘われれば飲みにいく程度の利用頻度なのですが、ジョイフルメドレーが提供されている期間中は1人でもちょこちょこリピートしていました。特に去年はとある資格の試験勉強を頑張りたくて、それを口実に通っていたところがあります。ちゃんと合格できました。ピース。

ジョイフルメドレーティーラテのシロップ少なめが好きです。そういえばわたしがスタバではじめてカスタムオーダーしたのもジョイフルメドレーだった気がする。「甘さ控えめってできますか?」って聞いてみたらできた。ありがとうございます。おいしいです。

最近職場でお茶を淹れるようになったので(今まではできなかった)、これ幸いと初日の今日ドリンクよりも先に茶葉を買ってきてしまいました。これで仕事中に飲めるぞ! うれし〜〜〜〜!!!! また今週末にでも理由をつけてお店に行けたらいいな〜と思っています。後輩からもらったギフトチケットの有効期限が迫っているのを思い出したので行きます。思い出してよかった。飲むぞ!

白衣と針に白旗を

反省したので今日あったことを今日書くぜ!!

今日は健康診断を受けてきたのですが、採血後に気分が悪くなって座っていられなくなってしまい、看護師さんに車椅子で空いていたベッドまで運んでもらうという出来事がありました。

なんで反省しているかって、注射直後に具合が悪くなったのはこれが初めてじゃないからです。今日も採血前に「採血で具合悪くなったことないですか」って聞かれたし「あります」って答えたのに、「じゃあ横になって採血しましょうか」の提案は「大丈夫です」と言って断ってしまいました。結果大丈夫じゃなかったんですけど……

予防接種も点滴も怖がらない幼稚園児だったくらいなので、大人になるまで注射はむしろ得意な方だと思っていました。それなのにどういう理屈かわからないのですが、成人してからというもの注射針に刺されると体調を崩してしまうようになってしまったのです。

具体的な事例を挙げると、親不知の抜歯のための局所麻酔で意識を失い、献血は開始直後にギブアップ、ワクチン接種会場では経過観察中に記憶が途切れ気がつけば病院に運び込まれていました。

それだけの前科がありながら「大丈夫です」とか言ってすみませんでした。今回こそ大丈夫だと思ったんだけど、やっぱりダメでした。認めたくなかったけど、ここまでくると注射が苦手だと認めざるを得ないじゃないですか。くやしい!!!!

本当に良くないけどこの感覚にも慣れたもんで、あっやべっと思ったら経験に基づいて冷静に・自発的に頭の位置を一旦下げることができるんですね。まあできたところで気配りの鬼・ナースの皆さんは見逃すことなく声をかけてくれるから結局お世話になってしまうのですが……

※ちなみにこうなるたびに看護師さんは「びっくりしちゃいましたよね〜」とか「よくあることなので安心してくださいね〜」とか優しい言葉をかけてくれるのですが、初めてじゃないので内心(やっぱりまたこうなっちゃったか〜)と思っているし、一方で初めてじゃないと知られたとき「わかってたならなんで最初から横になるという選択肢をとらなかったのですか?」と咎められるのが怖いので毎回無知のふりをして「そうなんですね〜」と相槌を打っています。雑魚。

倒れたあとで回復したかどうかを確認するために血圧を測られたのですが、採血前に測った(問診票に記録された)血圧から20以上下がってて笑いそうになりました。怒られたくないので我慢したんですけど、内心めちゃめちゃウケてた。ごめんなさい。

わたしの場合、今後注射を受けるときには迷走神経反射は体調に関わらず起こるものとして事前に申し出るしかなさそうです。どうせ横になるなら選べるタイミングで寝かせてもらいましょう。そもそも空きっ腹に注射なんてコンディション良くないに決まってるでしょうが。わたしのばか。二度と座位では針と向き合いません。自戒。

 

 

健康診断終了後に食べたおうどんがめちゃくちゃ美味しかったです。15時30分のランチでした。