hatsuhappaのブログ

不定期で更新される日記のような何か

これくらいのおべんとばこに自意識自意識ちょいとつめて

数ヶ月ぶりにお弁当を作った。嘘をついた。2年ぶりにお弁当を作った。

職場で食べるお昼ごはん用のお弁当を作らなくなったのは、会社都合の転居がきっかけだった。他の部署への異動辞令が出たり転勤を命じられたりしたわけではなく、当時住んでいた社宅の契約の関係で新たな家に移ったのだが、引越し直後に高熱を出したり、部屋の片付けが進まないことを口実にしたりしてランチを会社の外で済ませる頻度が増えたのだ。

それまでは100%、毎日手作りの弁当を会社に持参していた。今となっては我ながらどうしてそんなことができていたのか不思議だが、当時は毎朝のお弁当作りも全く苦ではなかったのだ。前日の夕飯の残りや休日にまとめて作った常備菜を詰めるだけだったし、卵焼きとウインナーだけは朝に作っていたけれど、それはむしろ楽しかった。食事量を自分で調整できるのも嬉しかった。

それがどうだ。ある日を境に、おかずをお弁当箱に詰める「だけ」のことができなくなった。食材を切って加熱する「だけ」のことができなくなった。10個1パックの卵を消費期限までに使いきれなくなった。食べ終わった容器を洗うことができなくなった。保冷剤がぬるいまま放置されるようになった。お弁当を準備する時間があるなら睡眠に充てたかった。朝、起きられなくなった。

他のテナントと共有の休憩室の居心地が悪かった。急に粗末になった食事の内容を人に知られたくなかった。与えられた60分の休憩時間の過ごし方を同僚に見られたくなかった。誰にも何も言われていないのに早く戻らないといけない気がして落ち着かなかった。

いくつもの理由と言い訳が積み重なって、お昼ごはんにお弁当を持っていくのをやめてしまった。それがこの2年弱の話。

もともとできていたことができなくなったのが恥ずかしくて、家族や友人、別の部署に配属された同期には「(弁当は)たまにしか作らなくなった」と嘘をついてきた。ごめんなさい、この2年ほどまったく作っておりませんでした。見栄張ってました、すみません。

お弁当作りを諦めてからというもの、お昼の時間になると会社をいそいそと抜け出してドトールミラノサンドを食べ続けてきた。ほぼ毎日。その店舗のスタッフさんに顔と注文内容と支払い方法を覚えられて、お互い何も言わないままポイントカードとクレジットカードを差し出すようになったくらいには。

さて、最近になって職場が変わった。今のオフィスの近くにもドトールはあるけれど、以前通っていた店舗よりもこじんまりとしていた。最初のうちはそれでもドトールに通っていたけれど、満席で座れない日が続き、せっかくの休憩時間が店探しで削れていくのが虚しくなり、お弁当生活に戻すことにした。

そもそもお弁当を作らなくなったのは自炊が毎日のようにできなくなったからで、食器を都度洗うことができなくなったからで、朝起きられなくなったからで、変化した食事内容を見られたくなかったからだ。

今のわたしは、以前ほどではないにせよ自炊に前向きになったし、食べ終わったあとすぐにお皿を洗えるようになったし、睡眠のリズムも整ってきたし、変化も何もベースとなる食事内容を今の職場の人たちにはまだ知られていない。お弁当を用意しない理由は解消されていた。

悲しいことに2年前まで愛用していた二段のお弁当箱は、前の家で使っていた巻ける水切りラックのサビた部分が色移りしており、側面が赤く汚れてしまっていた。それで新しいお弁当箱を買ったのがこの前の土曜日。散歩して友人とモーニングを食べた日。今度は食べる量と盛り付けのしやすさと洗いやすさを考えて一段のお弁当箱にした。

朝、いつもより少しだけ早く起きてキッチンに立つ。昨日の夜、ご飯だけよそっておいたお弁当箱を取り出す。お弁当用に取り分けておいた野菜炒めを移す。冷凍食品の和惣菜、今日はひじきの煮物を軽く解凍する。隙間にプチトマトを詰める。完成。

卵とウインナーも買ってはいたけれど、野菜炒めで半分以上埋まってしまったので今日は手をつけなかった。本当は早起きできなくて作る時間がなかったらどうしようと思って保険をかけていた(野菜炒めをわざと多めに取り分けていた)のだけれど、明日からはそれも心配なさそうだ。

こうして少しずつ前の自分にできていたこと(もっと昔の自分が大人になったらやりたいと思っていたこと)が再びできるようになりつつあるのが嬉しい。久しぶりのお弁当は安心する味がした。極端な変化に弱いわたしはいきなり・完全にお弁当生活に戻そうとするとまた潰れかねないので、外食も選択肢のひとつとして持ちながら、無理のない範囲でお弁当生活を続けていきたいと思う。