hatsuhappaのブログ

不定期で更新される日記のような何か

一万六千歩の大丈夫

火曜日の朝があまりにも清々しく晴れていたので、次の休みは絶対に散歩しようと決めていた。1時間くらいは歩きたいな、そうだ朝ごはんはカフェかベーカリーで食べることにしよう、長袖がちょうどいい気候だと嬉しいな、などなど計画未満の妄想をしながら1週間を過ごした。

そして今日。いつもより少し早くに目が覚めた。カーテンを開けると、火曜日と同じくらいの快晴で、完璧な散歩日和。

望みどおり長袖のシャツに着替えて簡単な身支度を整えながら、思いつきで友人にメッセージを送った。「起きてる?」

「今からそっち方面まで散歩しようと思うんだけど、もし良ければ近くでモーニング一緒に食べない? 気乗りしなければ普通に断っていいからね」

すぐに返事がなかったとしても起きた時に気づいてくれたらいいや、くらいの気持ちで送信した。実際、返事が来たのは目的のカフェでモーニングセットを注文した後だった。

普段は電車で通り過ぎてしまう街並みを、その景色の一部になって歩いていく。わたしのことを誰も知らない街を歩いていく。部外者ではなく通行人Aとして、風景に溶け込みながら歩いていく。歩けば歩くほど大丈夫になっていくのを感じる。嬉しくてほっとする。時間と心に歩くという行動がゆるされるほどの余裕のある状態が好きだ。休日にこうして歩く余裕があるから、自分はもう大丈夫。楽しみなことを自分で用意できるから大丈夫。朝が怖くないから大丈夫。大丈夫。

ちょっと遠回りをしながら1時間ほどかけて目的のカフェに到着した。友人からの返事はまだない。もう少し周辺を散策することも考えたけれど、ダメもとで送ったメッセージだったし、何より空腹だったのでお店に入ることにした。そして注文を済ませたところでスマートフォンの画面が光った。「今どのあたりにいる?」

急な誘いにもかかわらず応じてくれた友人と朝食を済ませたあと、ついでに買い物にも付き合ってもらって、別れるころにはそれでもまだ1日は半分残っていた。

帰り道に見つけたパン屋さんでお昼ごはんを買ったり、強風に薙ぎ倒された自転車を通りがかった人たちで起こしたり、体操服を着た幼稚園児とその保護者と思しき集団に道を譲ったりしながら、行きとは違う道を選んで、やはり1時間くらいかけて帰った。

いい日だった。